舞踏への招待


 舞踏は1950年代の末、故土方巽(ひじかたたつみ)が開始したと言われる正確な意味での(時代の必然、要求から生まれ、見事にそれに対応したという意味で)現代舞踊の一つです。舞踏は土方の暗黒舞踏をはじめ、何人かの担い手によって1960〜70年代の日本の前衛シ−ンを圧倒的な力で駆け抜け、80年代からは私たちも含めて、日本、欧米ほか世界各地でその発展と展開を続けています。
 何がこれ程までに舞踏を意味あるものにしたのか。それは舞踏が伝統舞踊やモダンダンス等、既製の舞踊に対する表現形態上のアンチテ−ゼを示したばかりでなく、むしろ舞踊、演劇、音楽のみならず、全ての既製文化に対する哲学的な改更を強烈に迫ったからです。そしてそれを支えたものは取りも直さず制度や社会に要請された、いわば物体(もしくは機能)としてのからだ(身体)ではなく、個々人の生命の欲望に応じたありのままの、また個の時間を内包した生きられたからだ(身体に対応させて肉体と呼ぶ)であったわけです。

 土方が亡くなつて10年近くが去り、欧米においても日本においても今、舞踏は新しい時代に入っています。それは表現として優れ、完結した土方の暗黒舞踏の影響を直接、間接に受けつつも、その表現方法や形態を離れ、独自な活動を展開する担い手が出てきたからです。土方舞踏が厳密なメソッドと哲学を有していた、いわば伝承の舞踏だとすれば、現在の舞踏はその哲学的側面に依拠しつつ、広範な表現の方法を模索、展開している、私の言い方で言えば傾向(TENDENCY)としての舞踏と言えます。傾向とは古典、伝統、モダン、民族舞踊等に対するジャンルとしての舞踏であるよりは、私たちのからだに宿る純粋な生命をいかに正確に取り出せるか、と言う、いわばあらゆる舞踊表現に必須の「傾向」のことです。その意味で舞踏は何処にでも偏在する可能性があり、更に言えば「舞踏」として流布されている踊りに常に舞踏を感ずる必要もないし、逆に舞踏という枠組みに入っていなくとも傾向としの舞踏を内包している踊りや表現があるのです。にも拘らず私たちはそれを舞踏のらち外に締め出す危険を冒してきたことを認めなければなりません。又、「純粋な生命」という時の純粋とは、混じりけがないとか、美しいとか、健康であるとか、という事では全くなく、美醜、善悪、明暗等を超えた生命のありとあらゆる側面を孕むという意味です。

 私は暗黒舞踏の担い手ではありませんので、言うなれば舞踏について教えるものを何も持ちません。むしろ生命をいかに正確に取り出せるか、という動的で傾向的な作業に徹しています。教えるものを持たない人間に何が出来るのか? 唐突ではありますが舞踏は既にあなた方の中にあるのです。それを取り出す為の方法を伝える事が私の仕事なのです。又、舞踏は既にあなたの中にある、と言いましたが誰にでもそれが許されている訳ではありません。舞踏を踊れるか否かは生きている事への関心、欲望、後悔、喜び、悲惨、それに伴う体験や記憶(からだの癖も又、記憶)をあなたのからだが宿しているか否かにかかっているのです。又、それが表現である以上、それを編集する能力と責任があるのです。舞踏を或る種の不思議な仕種やいでたちをするエキゾチズムとしてとらえ、そのマニアルを学ぼうとする方々には私は初めから関心がありません。何故なら舞踏とはからだそのものが名づけようもないものを生み出そうとするその行為そのものに他ならないからです。逆に自分の中にあるものを認めようとせず、外にあるもので自分を満たそうとするのは、からだを表現の道具(TOOL)として「使う」ことであり、舞踏的な行為からほど遠いからです。私はいわゆる奇異を好む舞踏愛好者や、技術を誇る窮屈なダンス専門家よりは、生きている事の喜びと悲惨を分かち合えるごく普通の人々の参加を期待しています。

1995年1月12日 東京にて

1995 「物質との密約」、パリ、写真:ジャン・グロー・アバディ
 

白踏宣言


 私の提唱する「白踏」(Buto Blanc)とは舞踏の祖、土方巽の暗黒舞踏の黒と対峙するものでなく、「白」という辞を使う事によって、むしろ暗黒舞踏の哲学的側面 ─ 即ち、舞踏家は完璧に己自身の“存在の暗黒”を(言うなれば)白日の元にさらすべきであるという主張 ─ を強調しているのである。ヨーロッパの、いや世界の殆んど全ての近・現代舞踊の創作の基本的な方法が、先ずコンセプトがあって、それを実現する為に踊り手の外部にある動きや形を採集し、構成していくというものであるのに対し、舞踏の創造(正しくは産出というべきであろう)は個々人のからだに既に内在している踊り(原体験 ─ しばしば風景という辞を使う)を導き、引き出してくるという所に最大の特長がある。従って結果として時には明確な、或いは現象的な形や動きというものが踊りの重要な要素ではない場合すらあるのだ。この内在する原風景(踊り)をもつからだを生理的な器としてのからだ(身体)と区別して、舞踏家達は肉体 NIKU-TAI と呼んで来たのである。
 「肉体」を実現する為には、個々の体験や記憶、体癖の確認と集積、そして表現である以上それを編集する能力が必要となってくる。舞踏家達がしばしば直面する困難とは、実はこの「肉体」の実現の困難と関連しているのであり、見者にとっての困難、時に誤解はこの風景をはらんだ肉体を常に可視的なもの、つまり明確で現象的な形や動きとしてとらえようとする“常識”にある。白踏の舞踏は形や動き以前にある舞踏の本質(生命の実態の探求)を改めて洗い直す作業であるとも言える。この作業に困難が伴う事は言うまでもない。
初出・ 第1回パリ公演「神の旋律」企画書より
1989 La Maison du Buto Blanc(在欧白踏館)
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